
「吉川」・「狐ヶ崎」の歴史文化を学ぶワークショップ
関ヶ原の戦いにおいて、毛利家の存続を計った吉川家17代当主・吉川広家は、徳川家康に内通したことで、防長二国を守ったと伝えられています。その吉川広家の先祖、吉川家発祥の地が有度地区東に位置する「吉川」地区です。吉川には、鎌倉時代より受け継がれてきた歴史や文化が今も息づいています。この機会に、吉川の歴史と文化を学び、次の世代へ語り継いでいきませんか。みなさまのご参加をお待ちしております。
令和8年5月30日(土)【吉川・狐ヶ崎の歴史文化を学ぶワークショップ】の第1回「吉川氏発祥の歴史」に、地元吉川だけではなく、葵区や駿河区・他の自治会にお住いのみなさん、60人余の歴史好きの方が集まりました。
5代目くらいまでの「吉川氏の歴史」の古文書など資料がほとんど残っていない中、正解を導き出すことは困難である上、研究者たちの論文にも相違があるため、敢えて講義形式ではない形でワークショップを開催しました。
「…らしい」・「…と言われています」・「諸説あります」など参加者みなさんのご創造に期待します。
次回は7月25日(土)14:00~ 吉川自治会館にて、第1回にお話しできなかったことや「鎌倉時代~現在の吉川氏」について、お話したいと考えています。
戦国時代の毛利元就の次男である元春が養子に行ったことで知られる安芸国(広島県)の吉川家は,ここ駿河国吉川(静岡市清水区吉川)の地から出ています。多くの歴史書の中で取り上げられ、また多くの歴史研究者が全国各地から訪れる、日本の歴史の中でも特に有名な地域のひとつです。
上記写真は昭和18年吉川子爵家(吉川宗家第30代、岩国吉川家第14代、吉川元光)が宗家初代、吉川経義の750年祭を記念して築造した墳墓(初代経義以下、友兼、朝経、経光に至る草創期4代の合葬墓)を「駿河吉川会」が吉川宗家をはじめ、地元吉川の各種団体ならびに住民のみなさまのご協力を得て、計画以来7年を経て、平成27年9月に改修築造した「吉川氏墳墓」です。
これらの詳しい由来などは「吉川八幡神社」の「石鳥居」に記されています。
駿河吉川会は、ここ「吉川氏発祥の地」から全国各地で歴史的に活躍された吉川氏と深く関わりをもったみなさまと交流しながら、地域社会貢献の活動や研究をしている団体です。
<1875年(明治8年)頃の吉川村の地図>
上部の川のようになっているのが、巴川です。
全体的に黄色の部分が田畑、ピンク色が宅地で赤色が現在の福聚院です。
宅地部が少なく田畑が多いのは、少数の権力者が多くの田畑を所有していたんですね。
最下部の突き出た色の変わった場所が「吉川八幡神社」です。1885年(明治18年)、東海道本線建設により、境内の2/3を失いました。
なお、この地図は駿河吉川会が2010年(平成22年)2月10日、吉川在住の本多金蔵氏宅に所蔵されていたものを確認し、確実な保存と多くの人々に紹介することを目的に、2011年(平成23年)7月28日に静岡県立中央図書館へ寄贈しました。
→吉川村地図(静岡県立中央図書館サイト)